風と出会いと〜みっちー@ツーリング〜

2006年2月1日写真掲載
1999年4月29日 
僕は自転車会社を退職し、自営の道を選択した。
それは、色々複雑な思いをしながら”勤め人”をしていた僕に奥さんが言った一言からだ。
”自転車、好きって気持ち忘れてない?会社やめて旅にでてきたら?”

そうだ、クロスカナダを達成した時の気持ちを思い出し、自分でやるんだ 日本縦断!
・・・ということで僕は旅に出ることにした。当時は携帯やメールも今ほど便利でもなく、また、持っていない自分。連絡は電話。と、奥さんにテレホンカードを沢山持たされ、出発。
進路は鹿児島県・佐多岬を目指し一路西へ西へ・・・・


当時の住居前で愛犬タロと。出発直前

奥さんの実家である京都の家に宿泊。
京都までは岐阜〜関が原バイパス〜湖岸道路(滋賀県)〜大原を経て京都市内へ。
1999年5月1日
体勢を整え、再出発。久々のツーリング。すぐに足腰が痛む。情けない・・・・
震災後の神戸に寄る。震災当時、親父が旧友を心配して神戸に駆けつけたが、何の役にも立てなかったと 帰ってきたっけ・・・。


壊れたメリケンパーク
5月1日 
明石海峡大橋をバックに記念撮影 


大学で橋梁を勉強していた頃は、”明石海峡は深すぎて橋は造れない”と言われていたが、きれいな橋が出来ていた。
5月3日 
しまなみ街道 尾道から因島の橋の前で。


3番目の本州四国連絡橋 しまなみ街道 10本の橋を島々に渡して本州の広島県、尾道と愛媛県今治を結んだ。 自転車が走れる唯一の本四連絡橋である。
5月4日 
広島原爆ドーム前 


戦争への意識が年々風化するとともに、このドームも人々から単なる”観光名所”とならないことを祈りつつ。 人として忘れてはならないことを、もう一度立ち止まって感じた日。
5月5日 
関門橋到着  


6日間で走れた距離 773.5キロ 
アヴェレージ128.9キロ かかった費用は一日平均3966円
下関では義兄の友人である「下関火の山YH」でお世話になる。 
連れて行ったもらったお店は”たかせ”という、名物「瓦蕎麦」のお店。


山口では結構有名だそうだ。
この瓦蕎麦は戦国時代、戦の最中に落ちている瓦の上で蕎麦を焼いて食べたことが始まりだ、ときいた。 蕎麦の下側(瓦に近いところ)が焦げてとても美味しかった。
この店はなんと温泉も併設されている。
5月7日 
関門トンネルを自転車で走行。 トンネルの中に山口と福岡の県境があり、そこで記念撮影。


徒歩は無料だが自転車は20円なり。 約700メートルくらいの距離である。
5月9日 

阿蘇山の中岳火口 

奥さんの親戚である熊本の荒木家でお世話になる。 阿蘇山は雄大だ!
阿蘇山高森にある田楽のお店で、ご馳走になった。

有難うございました!
5月10日 
熊本城に到着 

(ここは、後に奥さんとタロを連れて再訪したがなんと抱っこしていればワンコも入場できた)

この日は、熊本から3号線を離れて天草へ。 天草はその海の美しさに感動した。


しかしこの旅で九州の昆虫はでかい!!と痛感したのもここ、天草での宿泊先でのことだった。
食堂の壁に、足を広げたら拳大にもなる毛の生えた蜘蛛が!!
家内の害虫を食べるとはいえ、ちょっとご勘弁・・・・
5月13日 
本州最南端佐多岬ロードパーク入り口に到着!


岐阜から1307キロ。出発から11日と2時間なり。
佐多岬は九州交通の私有地で、自転車は通れない。
1日3本のバスに乗れ、と言われる。 自転車乗りとしては、最南端にまで行きたいに決まっている。
しかし、ここは道路の最南端ではない。となると、手段は一つ。
有料道路のゲートが開く午前6時までに自走して戻ってくる人もいる(いっぱい)。
こんなことしなくても、走れるようになるといいですね。
サイクリストがサイクルスポーツという雑誌や、九州の地方紙に、一面抗議文を載せたこともあったそうだ。

まだまだ続きます

メインページに戻ります